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南河内特化型 農家レストラン Buono2(ボーノボーノ)【ランチセット】堺市美原区木材通

 日本建造物の原点とも言える、千木(ちぎ)や堅魚木(かつおぎ)をご存知だろうか?

 神社の屋根についてる飾りみたいなもので、実物を見れば『あぁ~あれね!』ってなると思うが…

 屋根の両端でX状に交差させたのを千木、水平に並べて置かれた丸太状の木を堅魚木と言い、元々は上流階級の邸宅などに使わてきたが、今日では神社建築にのみ用いられているそうだ。

 千木の先端を地面に垂直に削ってあるか、水平に削ってあるかで、その神社に祀られているのが、男の神様か女の神様か分かるらしいが、それも例外があるとかでやゃこしい…(^_^;)

 古来日本人の暮らしに調和し木の文化を育んできた、その千木と堅魚木をシンボライズさせた、“木魂(もっこん)”というモニュメントが、大阪堺市の美原区にある「大阪木材工場団地協同組合」運営の、木材利用普及研修センター「ウッドリーム大阪」の敷地内に設置されている。

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 同じ敷地内に協同組合が福利厚生の一環として誘致し、2012(平成24)年9月にオープンした【南河内特化型 農家レストラン Buono2】がある。

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 道をはさんだ反対側には、同じように誘致された回転寿司屋の「バリュー」もあるが、協同組合ってそんなにも力があるんだな。

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[ 2017/05/24 ] イタリアン | TB(0) | CM(0)

熟成焼肉 听(ポンド) 福島店【厚切り牛タンステーキ、ミスジステーキ…ほかetc.】大阪市福島区福島

 1874(明治7)年5月、逓信省鉄道作業局(後の運輸省→国土交通省) 、つまり明治政府が直々に建設・運営に携わり、後に国有鉄道(国鉄)からJRへと変遷することになる東海道本線が、大阪と神戸を結んで開業した。

 遅れること31年後の1905(明治38)年4月、大阪の出入橋駅と神戸の筒井通駅間で運行を始めたのが現在の阪神本線だ。

 翌1906(明治39)年12月に梅田まで延伸が完了すると、出入橋駅は1948(昭和23)年10月に廃止された。

 梅田駅はその後1939年(昭和14)年に地下化されたが、出発してスグに地上線になっていたため、福島駅周辺の、特に出入橋・浄正橋・福島西通の踏切などは、開かずの踏切となってなにわ筋周辺に交通渋滞を引き起こしていた。

 その渋滞解消と西梅田エリアの再開発のため、梅田駅から野田駅までが地下線化され、完了した1993(平成5)年9月に福島駅は地上から姿を消し、少し離れた地下へと移動して運行されることとなった。

 廃線となった跡地にはレールの緩やかなカーブ形状のまま、1998(平成10)年6月に阪神クレセントビルが竣工している。

 2017(平成29)年4月1日、京都を中心にステーキハウスやハンバーグの店を展開している听(ポンド)が、【熟成焼肉 听(ポンド) 福島店】を阪神クレセントビル一階にオープンさせた。

 グループ25店舗目だそうだ。

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 オープンから1か月半ほどが経つが、店の前にはまだ開店を祝う花が飾られていて華やかな雰囲気。

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 ん? かしまし娘? あの『ウチラ陽気な~♪』でお馴染みの?

 まだ活動してるのか…(?o?;)

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[ 2017/05/23 ] 焼肉・ホルモン | TB(0) | CM(0)

豚農家直営 肉バル BooBoo キッチン【レセプション】堺市北区東雲東町

 1932(昭和7)年2月、かつての大日本帝国陸軍の騎兵(のち捜索)第4連隊および輜重兵第4大隊が、狭隘となった真田山から、現在は近畿管区警察学校や金岡公園になっている、当時の南河内郡金岡村へと移転をした。

 その部隊の移設に伴い、阪和電気鉄道(現JR西日本阪和線)の杉本町駅と、仁徳御陵前停留場(現在の百舌鳥駅)の間に、堺市停留場として設置されたのが今のJR堺市駅の始まりだ。

 軍隊のための駅として開業したため、当時は南海電鉄の堺駅や堺東駅のような賑わいはなかったようだが、 1956(昭和31)年に金岡団地、1966(昭和41)年に新金岡団地が建設されて以降は、JRにおける堺市の中心駅となっている。

 その堺市駅のスグ目の前に【豚農家直営 肉バル BooBoo キッチン】が、2017(平成29)年2月11日に新たにオープンした。

 なんでも東大阪市渋川町にある、長瀬畜産が丹精込めて育てた“なにわポーク”が食べられるとのことで、そのレセプションに呼んでいただいた。

 それにしても地元の東大阪で、しかも渋川町は今仕事で担当しているエリアなのに、そんな所に年間700頭も飼育してる養豚場があっただなんて、まったく気がつかなかったな…(。-∀-)

 なにわポークというブランドも初耳だったが、手間暇かけ丹精込めて育てるため、月に10頭ほどしか出荷できない貴重な豚だそうだ。

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 店頭のしゃぶしゃぶ写真に惹かれて入る客もいるだろうな~♪

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 飲み放題があるってワイン好きには朗報だ。

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[ 2017/05/13 ] バル・バール | TB(0) | CM(0)

ふぐ料理 治兵衞 なんば駅東店【極コース】大阪市中央区難波千日前

 グルメな呑んべぇたちを中心に人気のエリアとなっているウラなんば。

 厳密な定義はなく、南北は千日前通り辺り~なんさん通り、東西は高島屋辺り~黒門市場までのエリアをそう呼んでいるらしい。

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 もともとは道具屋筋や家具屋通りの倉庫が並び、夜は風俗系のお店ばかりが目立ち、一般客には馴染みの薄いエリアだったのを、個人飲食店の若きオーナーたちがウラなんばと名付け、連携を模索し始めたのが2010(平成22)年ごろのことだそうだ。

 今でこそ和洋中やB級グルメまで、様々なジャンルの飲食店が100店舗以上も立ち並び賑わっているが、当時は共鳴する店もまだまだ少なく、最初にウラなんばマップを作った時の掲載店は11店舗だけだったとか。

 そんなウラなんばに約7万室の客室数を誇る国内最多のホテルチェーン、「アパホテル なんば駅東」が2017(平成29)年4月25日にオープンした。

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 その1階にホテルの朝食会場も兼ねて同時にグランドオープンしたのが、【ふぐ料理 治兵衞 なんば駅東店】だ。

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[ 2017/05/07 ] ふぐ料理 | TB(0) | CM(0)

北海道応援隊 きたいち酒場 梅田店【特別試食会】大阪市北区曾根崎新地

 1720(享保5)年10月16日、大阪の網島(現・都島区)の大長寺で、遊女の小春と、天満で紙屋を営む治兵衛の二人が自らの命を絶った。

 のちに近松門左衛門が、浄瑠璃「心中天網島(しんじゅう てんの あみじま)」の題材とした心中事件だ。

 小春が遊女として身を置いていた紀伊国屋があったのが、遊郭から商いの場へと姿を変えた堂島新地の後継地として、1708(宝永5)年に開かれた曽根崎新地だと言われている。

 その曽根崎遊郭も、1909(明治42)年に起きた「北の大火」から立ち直れないまま、翌年に消滅してしまったが…

 時は移ろい2015(平成27)年9月17日、東京の銀座と並び称されるほど、高級飲食店街へと変貌を遂げた曽根崎新地に、【北海道応援隊 きたいち酒場 梅田店】がオープンした。

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[ 2017/05/06 ] 居酒屋 | TB(0) | CM(0)

Cafe&Restaurant Green Table【レセプション】神戸市西区白水

 東経135度、子午線が通るまち、明石。

 経度0度のグリニッジ子午線との時差は9時間で、1886(明治19)年に公布された勅令第51号「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」により、日本の標準時線として覚えている方も多いと思う。

 だが、パリの国際度量衡局が決定する「原子時」が採用されている現在では、1967(昭和42)年以降は東京の情報通信研究機構(NICT)にある原子時計の時刻を、日本の標準時間としていることを知る方は少ないんじゃないかな?

 明石と言えば地名の由来にも神秘的な伝説がある。

 その昔、明石の北にある雄岡山(おっこさん)に住む男が小豆島に住む女性に会うため、妻のことも省みずに毎日のように鹿の背に乗って海を渡っていたそうだ。

 ある日、獲物だと思った猟師の放った矢が鹿に当たり、男は鹿とともに溺れ死んでしまったらしい。

 血で真っ赤に染まった鹿はそのまま岩になって沈んでしまい、その赤石が転じて明石と呼ぶようになったとか…

 林崎松江海岸の沖130m、水深2.5mのところに赤石が実際に沈んでいるそうで、かの豊臣秀吉も見物に訪れたという話が伝えられている。

 そんな魅惑のまち明石の中心地、明石駅から車で10分ほどの閑静な住宅街に、ギフトや生活雑貨の物販店【GIFTSHOP apide】に併設して、【Cafe&Restaurant Green Table】がオープンとのことで、プレス向けレセプションにお邪魔させてもらった。

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[ 2017/05/05 ] カフェレストラン | TB(0) | CM(0)

阪急西宮ガーデンズ【Gardens Kitchen】西宮市高松町

 1876(明治9)年2月のこと、現在の毎日新聞のルーツとなる大阪日報が、明治維新後に徳島から上阪して堂島の米取引で成功し、大阪府会議員の議長も務めたことがある西川 甫の手により創刊された。

 その後、大阪日報は日本立憲政党新聞→大阪日報を経て、1888(明治21)年11月に大阪毎日新聞と名を変えている。

 昭和へと時代が移り諸外国の文明が巷に溢れだした当時の日本では、新聞社主催の博覧会がチョットしたブームになっていて、1937(昭和12)年の春、大阪毎日新聞も兵庫県武庫郡瓦木村(現在の西宮市)に於いて「大毎フェアランド」を開催した。

 博覧会の中身は当時の国際事情を色濃く反映した日独協定記念館のほか、死のサーカスと銘打ったアメリカのファンチョン・マルコ・ショウ、それにドッグレースなどが評判を呼んだと伝えられている。

 その大毎フェアランドの跡地に、発足したばかりの阪急職業野球団(現在のオリックス・バッファローズ)の本拠地として、1937(昭和12)年に開場したのが阪急西宮球場だ。

 少々前置きが長くなったので、2002(平成14)年12月31日に閉場した、西宮球場の歴史については割愛させてもらう。

 西宮球場跡地を含む一帯7万㎡という広大な敷地はその後再開発が進められ、2008(平成20)年11月に西宮阪急百貨店、イズミヤほか260もの専門店、それにTOHOシネマズや西宮OSなどのシネコンを備えた阪急西宮ガーデンズがオープンした。

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 2017(平成29)年4月25日、東西南北の4つのモールからなる1周約450mのサーキット型館内の、東モール1階にあるフードコートが【Gardens Kitchen】としてリニューアルオープンするのに伴い、ブロガー向け内覧会が行われたので参加させてもらってきた。

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[ 2017/05/04 ] イベント | TB(0) | CM(0)